これからの組織における「大人の学び」③新しい時代にふさわしい「プラスα」とは?

2021年8月17日

私たちの働く環境は、未曾有の変革期の真っただ中にいます。

新型コロナ・ウィルスが急加速させたリモート・ワークですが、それ以前から、ITや人工知能の職場への進出、働き方改革などにより、労働形態が大きく変化すると予測され、すでにその前段階とも言える動きは始まっていました。

各種の調査結果によると、この流れは、コロナの影響もあって世界的に定着しこそすれ、後戻りすることはないと言われています。そして、この急激な働き方の変容が、仕事に関わる学び方にも大きな影響を与えることは間違いないところでしょう。
こうした現状を踏まえ、本シリーズでは「新時代のアダルト・ラーニングとは?」を探る試みを行っています。最初の2回では私たちが置かれた状況の分析を行った上で、職場における経験学習の定番と言えるデヴィッド・コルブ氏の理論モデルを概観しました。

今回はこうした知識をベースに、「コルブ・モデル」の主に前半に当たる2つのフェーズの内容について、新しい時代にふさわしい「プラスα」の可能性を探っていきましょう。

リアルとデジタルが混在する現代社会、「経験学習モデル」の課題とは?

最初に小さな前提を置くことにします。さもないと、本稿のような小論では収まりがつかなくなるからです。
ここでは私たちが検討すべき変化を、「近未来」に限定しましょう。つまり、Web会議システムやチャット、動画などのテクノロジーが利用されてはいるものの、同時にリアルに人と協働したり交渉したりするという、実体験[1]もかなりの頻度で味わっているという、ハイブリッドなビジネス環境を想定します。
言い換えると、この小論では「すべての業務がバーチャル空間に移行し、人工知能が同僚や上司になる未来」[2]までは考えないということになります。ここまで「未来」になってしまうと、そもそも「経験とは何か?」さえ、一から考え直さなければならなくなるでしょうから[3]
さて、「近未来」という前提条件のもとで、どんな事態が(特に企業教育に関して)考えられるでしょうか? −− 私たちは、少なくとも2つのポイントがあると考えています。

ひとつ目は「他の人と協働する経験が浅くなる」という問題です。
個人作業が大幅に増える一方で、チームの他のメンバーやお客さまと関わる機会が、特にコミュニケーション能力の向上という点から見て、十分な質・量とは言えないものになってしまいかねないのです。
この現象は(仕事の内容にもよりますが)リアルでもバーチャルでも起こる可能性があるので、まさに「ハイブリッドなビジネス環境」ならでは、の課題でしょう。
たとえば、オンラインばかりでリアルなプレゼンテーションを十分に経験していない若手が、いきなり重要な(なのに不慣れな)リアル会議での発表を迫られ焦ってしまう、といった事態が珍しくなくなるかもしれません。
オンラインでも同様のことが起こりそうです。実際、Web会議による折衝や商談については「メンバーが馴染んでいない状況が多いため、ノリも悪くて結果も今ひとつ……」という声が、私たちの周囲でも少なくありません。「どうしたら必要なメンバー全員にバーチャルな経験を十分に積ませられるのか」と悩んでおられるリーダーも多いことでしょう。

第2の問題点は、すでに何度か言及したように、各人が、自分の能力上の課題に自分で気づきにくくなる、という点です。周囲からのフィードバックが少なくなりますし、何より、リモート中心の環境では他の人のちょっとした仕事の仕方をみたり、まねしたり、自分のやり方と比較したりすることがしにくくなります。しかも現在は、「日本の商習慣の中で、どのような仕事の仕方が最も良いのだろうか?」を誰もが模索している段階です。仕事上の模範、つまり比較基準も、以前より見つけ出しにくいでしょう。

これでは自分のスキル・ギャップを自覚することが難しいのは当たり前です。特に非熟練者の場合、たとえ「何かおかしいな」と感じても、原因がどのような種類のもので、どのくらい重大な問題なのか、判断しにくいでしょう。

このような2つの問題点(経験が浅くなる、ギャップに気づきにくくなる)は、いずれもコルブ氏のモデルにおける第一段階の「具体的経験」から次の第2段階「内省的観察」に至るフェーズの内容を「希薄化」させてしまいかねません。言ってみれば、エンジンの起動が不十分になって、経験学習のサイクル全体が円滑に回らず、効果を大幅に減じてしまう可能性があるのです。

ハイブリッド環境における企業教育では、「経験の設計力」へのニーズが高まる

このような考察をもとに、本稿では、次のような「仮説的な予測」を提示したいと思います。これはハイブリッドな環境におけるメンバーの行動能力を育てるため、とりわけ「教育を提供する側」に求められる事柄です。

それは「重要だと考えられる組織やチームとしての活動の経験を意図的に設計し、学習者に提供する必要性が高まるだろう」というものです。新しい環境においてどうしても不足しがちな経験を、人為的に補おうというのです。

「人工的な経験」としては、広く実施されているロールプレイングだけでなく、それ以外のさまざまな仕事のシミュレーションなども検討すべきでしょう。すでに実施されている組織も多いと思われますが、今後はさらに充実させる必要があるはずです。
たとえば、学習者にさまざまなリアル/バーチャルの仕事場面と、遭遇し得る課題をイメージさせます。そこで「自分ならどうするか?」を考えさせることにより、疑似体験を積ませるわけです。
こうしたシミュレーションの場面設定をするのに、テキストや動画の活用はもちろんですが、これからはVRやARなどのXR技術も選択肢に入るのは間違いないでしょう。どんなメディアを使うにしろ、インタラクティブなものが望ましいので、Web会議システムなどもフル活用されるようになるはずです。オンラインでお互いのロールプレイを評価しあうといった方法が多用されるかもしれません。

大事なことは、(当然ですが)「シミュレーションは、対象者の目的やレベルにふさわしいものを設計し与えなければならない」という点です。特に若手メンバーには「少し難しめ」のレベルの課題を適宜与えることにより継続的に成長を促す必要があるので、業務の性質や難易度の見極めも大切になります。
そして設計した学習の「効果の評価」ももちろん重要です。「次にどうすれば良いか」という意思決定や「打ち手」の選択を可能にするものでなければならないからです。鍵になりそうなのが、豊富なデータとシッカリした分析によるエビデンスです。

企業内の教育においても、データ・サイエンスの重要性がさらに注目されそう

教育に限らずビジネス全体を見渡してみても、「組織へのデータ・サイエンス本格導入の機運」はますます高まりつつあります。一過性のブームでは終わりそうもありません。
事実、今や多くの企業のマーケティングや意思決定において、データ・サイエンスは不可欠のツールとなりつつあります。細かく変化する顧客層の動向をビッグデータで把握・予測することが「次の一歩」を踏み出すための必須事項になっているわけです。

機械学習についても同様です。たとえば、読者のみなさんもご存じのように、直接販売より通販サイトに重きを置く組織が増加しています。ここで広く販促の決め手となっている、いわゆるリコメンデーション・システムは、初歩的な機械学習のアルゴリズムに基づいて作られているものが多いのです。
特に、不確実性が高まると言われるこれからの時代、データ検証は頻繁に行う必要があると言われます。「実験的試み」や「プロトタイプの作成」を何回も繰り返しつつ、小刻みにデータを集め効果を検証しつつ、当面の最適解を素早く見つける方法論に注目が集まっているのです。

こと学習に限っても、こうした「実験と効果の検証」のサイクルの確立は必要不可欠になっていくはずです。ビジネスの様相が激しく変化していくこれからの世界では、各々の教育手段の効果も永続するという保証はありません。仕事の状況や文脈が刻々と変化していきますし、学ぶ人のマインドも一定とは限らないからです。微細な変化を素早くとらえるためにも、こまめなデータの収集は欠かせなくなるでしょう。

「効果分析」のためのデータ収集は、かつての「リアルだけの」環境では難しいものでしたが、5Gのネットワークが普及し、高度なITとセンサーを介した近未来のビジネス環境では容易なものになっていくはずです。むしろ今後は、「手にあまるほどの膨大な、多種多様なデータを、どう統合し、分析・活用するか」の方が、腕の見せ所になっていくと考えられます。

ここでデータ分析との関わりで、現在はいわゆる成果主義との連動で行われがちな能力アセスメントについても触れておきましょう。
ハイブリッド環境下の能力アセスメントは、利用者自身に能力不足の「気づきを与え」「学びを起動させる」ための仕掛けとしても、積極的に活用されるようになるはずです。その場合、現在のような「お堅い」チェックシート形式だけではなく、もっと気軽に取り組めるオンラインのゲームやシミュレーション、VR技術なども、フル活用されるものと予想されます[4]

むろん、ここでも、得られたデータの収集と分析を基にした、適切なアドバイスの提供が重要になっていくのは間違いありませんし、人工知能によるものも増えるはずです。たとえば画面上のアバターが「ここが弱いから、強化しましょう」「次に学ぶべきは、これです」などと教えてくれるイメージでしょう。
組織における「学び」のさまざまな側面で、データ・サイエンスや機械学習技術の活用が不可欠になる時代の到来は、間近に迫っているのです。

まとめ:経験学習さえ、「現場任せ」が難しい時代になりつつある

本シリーズの第1回で、「これからは『今までの教育をオンラインに載せ換えました』というような惰性的な方法論は通用しない」、「科学的手法に基づく真の設計力が必要だ」といった一種の「大見得」(笑)を切りました。今回の考察で、その意図はおわかりいただけたのではないかと思われます。私たちの時代は、企業教育において、科学的な設計力がさらに問われる時代に突入しつつあると言えるでしょう。

企業組織の多くは、人材育成の年間計画を立てているはずです。中でも、熟達度不足のメンバーに対する現場教育(まさに経験学習に相当します)は、その多くを、リーダーや先輩たちのOJT(On-the-Job-Training)に任せているでしょう。今やそうした(これまでは)日々の経験の自然な蓄積に依拠していた学びといえども、意識的に設計し実施していかなければならない時代が到来しつつあると言って良いでしょう。
今後は現場での育成プランをこれまで以上に綿密に練る必要がありますし、計画作成と判断のベースとなるデータの集積と分析、結果の活用が、タレント開発面においても組織の成長の鍵となるはずです。

こうした育成計画の一環として、あらかじめ「組織内でのWeb会議の●割は、メンバーの育成や教育に使う」のように決めておくべき企業も多くなるでしょう(●に入れるべき数字は、業態や、必要な技能の難しさなどに依存するでしょう)。さもないとどうしても目先の業務が優先され、メンバーの将来の成長のための大切な時間の確保が、後回しにされがちだからです。
このような「経験の設計」の業務については、これまでのOJTのように現場リーダーに一任するのはさすがに難しいと思われます。したがって、組織の教育に関わる方たちが、少なくとも大枠やガイドなどは示す必要があるでしょう。もちろん、適切なシミュレーションのサービスやシステムなども、希望者が利用できるように準備しておく必要があります。

最後に理想を言えば、組織内で教育を担当されている方々は、一般にUX(User eXperience)と称されるデザイン論にも注意を払うべきでしょう。今後の育成場面では、オンラインのさまざまなツールの活用も求められるからです。とりわけ、そうしたツールがどんな体験を対象者に与え、どんなふうに成長に寄与するか、ある程度は予測しておきたいものです。ツール選択の判断基準にもなるはずです。

今回は、デヴィッド・コルブ博士の「経験学習モデル」の、主に前半のステップ(「具体的経験」「内省的観察」)について、「この時代なり」のプラスαが可能かどうかを検討し、ネットワーク、VR、データ・サイエンスなどもフルに活用した「経験のデザインとその実装」の重要性を指摘しました。

次回は、現テーマの最終回として、経験学習モデルの後半のステップについて多少の考察を加えた上で、現代のビジネス環境に対応するための経験学習の理論モデルの全体像を(主に組織内の教育担当者の方向けになりそうですが)大まかなりともイメージできれば、と考えています。